トルコ一人旅ガイド

 イスタンブール -Istanbul-

イスタンブールの概要

イスタンブールの位置 イスタンブール(Istanbul)はトルコ西部に位置し、首都アンカラを上回るトルコ最大の都市である。ボスポラス海峡を挟み西部がヨーロッパ、東部がアジアに属しており、古くはローマ帝国の時代から存在しており、経済と文化の発展した世界都市である。
 人口は1,173万人(2007年)、面積は1,831㎢(東京23区の約3倍)である。
 市街地は旧市街と呼ばれるヨーロッパ側の半島のうち金角湾とマルマラ海に挟まれた東ローマ帝国の旧都から、金角湾の対岸の新市街へと広がり、さらにボスポラス海峡沿岸全域に広がりつつある。
 歴史的価値の高い建物が多くある旧市街の地域は、1985年にユネスコの世界遺産に「イスタンブール歴史地区」として登録された。



イスタンブールの歩き方

イスタンブール路線図
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 イスタンブールにはアジア側とヨーロッパ側にそれぞれ空港があるが、日本やヨーロッパからの飛行機はヨーロッパ側にあるアタチュルク国際空港に発着する。
 アタチュルク国際空港から市内に出るのには、ハフィフ・メトロ(地下鉄)、ハワシュ(シャトルバス)の利便性が良い。また、メトロのゼイティンブルヌ駅にはトラムヴァイ(路面電車)が接続しており、旧市街の中心部へ行くことができる。
 イスタンブールにはボスポラス海峡と金角湾があり、旧市街と新市街、アジア側とに分けている。これらの街は連絡船が行き来し料金も安くそこそこの便数があるので便利である。




イスタンブールMap

  


交通機関

空港

アタチュルク空港(地図①)
サビハ・ギョクチェン空港(地図外、アジア側)




  ハイダルパシャ(地図⑰)


オトガル

エセンレル・オトガル(地図②) 
ハレム・ガラジュ(地図③)



トプカプ宮殿(地図④)

トプカプ宮殿平面図
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 旧市街地にあるトプカプ宮殿は、オスマン帝国のメフメト2世が1478年に完成させた宮殿で、1853年にドルマバフチェ宮殿に王宮が移るまでのオスマン帝国の王宮であった。建物は年代を重ねるごとに改装され現在の姿になった。1924年に博物館として公開されている。
 宮殿の領域は70万㎡ほどの面積をもち、比較的小さな建物と部屋で構成されており、主殿とみられる建物がみあたらない。また、前述の建物群と4つの庭園、複数のキョシュク(キオスクの語源で簡易建造物)で宮殿は構成されている。このような建物は、トルコ人が中央アジアの遊牧民であったときの伝統と言われている。


 開 9:30から16:00まで(ハレムのみ15:30まで) 休 火曜日 料 10TL

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国立考古学博物館(地図⑤)

 トプカプ宮殿のすぐ隣にある国立考古学博物館は、トルコで発掘された品々を展示する博物館である。建物は旧館と新館に分かれ、旧館にはアレキサンダー大王の石棺(但し、アレキサンダー大王のものと断定されているわけではない)と呼ばれる紀元前305年ごろに製作されたとされる石棺などが展示されている。


 開 9:30から17:00まで 休 月曜日 料 5TL


スルタンアフメット・ジャーミィ(地図⑥)

スルタンアフメット・ジャーミィ平面図
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 1616年にオスマン帝国のスルタンアフメット1世の命にて建てられたモスクである。完成までに7年かかったと言われるこの建物は、直径27.5mのドームを中心に6基のミナレット(塔、トルコ語でミナレ)がある。ミナレットは通常のモスクには2基、大きいモスクで4基といわれているので、その規模がうかがえる。

 内部は、青を基調とした様々な文様ののイズニック・タイルやステンドグラスで装飾され、その美しさからブルーモスクと呼ばれている。


 開 随時 休 無休 料 無料

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アヤソフィア博物館(地図⑦)

アヤソフィア博物館平面図
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 アヤソフィア博物館はそもそも、ビザンツ帝国時代のキリスト教の大聖堂として建設されたもので、ビザンツ建築様式の最高傑作といわれる。オスマン帝国の時代になると、イスラム教の第1級の格式を持つモスクとして使用されるようになった。

 創建は360年であるが、数度の戦火や地震により崩壊しそのつど再建や改修が施され、また、キリスト教の聖堂からイスラム教のモスクへの改装などにより今日の姿になっている。


  9:30から16:30まで 休 月曜日 料 10TL

 



地下宮殿(地図⑧)

 イスタンブールには、地下貯水槽が数箇所発見されている。特に通称地下宮殿と呼ばれる、この貯水槽は大規模で、長さ138m、幅65m、深さ9mで、78,000㎥の水を蓄えることができる。
 構造は、1列12本、24列で合計336本の大理石の円柱により、レンガ造りのヴォールトは支えられている。但し、今日では大理石の円柱は90本が失われている。


  9:00から19:00まで 休 日曜日 料 無料

 



グランドバザール(地図⑨)

 イスタンブールで最大の市場。東京ドームの3分の2の大きさを持ち、屋根が付いている市場である。正式名称はカパル・チャルシュという。
 ビザンツ帝国時代の15世紀半ばにメフメット2世により、イチ・ベデステンとサンダル・ベデステンの2つの市場が建てられ、時代とともに拡大し今に残る市場の規模となった。


  8:30から19:00まで 休 日曜日 料 入場無料



ゼイレック・ジャーミィ(地図⑩)

 12世紀に建設されたキリスト教の教会。コンスタンティノーブルの陥落で、イスタンブールがオスマン帝国の支配となると、イスラム教の神学校として使用された。このジャーミィの名前の由来は、その時の初代学長の名前による。


  14:30から日没まで 休 無休 料 無料

 


ヴァレンス水道橋(地図⑪)

 イスタンブール旧市街の中央部に架けられたビザンツ帝国時代の全長800mの水道橋。コンスタンティヌス大帝のころより建設が始まり、ヴァレンス帝の378年に完成したとされている。当初は全長1km程であったとされている。
 東ローマ帝国からオスマン帝国時代まで使用されており,メフメト2世が169年に最後の修復をした。現在は、水道としては使用されておらず、橋の上に上がることはできない。


 



イェニ・ジャーミィ(地図⑫)

イェニ・ジャーミィ
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 外観は直径17.5mの大型ドームとそれを取り囲む小さいドームからなり、内部は象目細工や透かし彫りなどの装飾が施されているイェニ・ジャーミィは、金角湾河口のガラタ橋のたもとにある。
 このモスクの着工はメフメット3世の統治下の1597年であるが、工事中断や火災などで完成はメフメット4世の統治下1663年で、完成に70年近くの歳月を要した。




  8:00から18:00まで 休 無休 料 無料

 



リュステム・パシャ・ジャーミィ(地図⑬)

リュステム・パシャ・ジャーミィ平面図
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 リュステム・パシャ・ジャーミィは金角湾河口のガラタ橋のたもとにあり、問屋街の雑踏に紛れるようにたたずむ。
 1561年にスレイマン帝の娘婿の宰相リュステム・パシャにより建てられたモスクで、宰相の身分では大型のモスクが建設できなかった分、外装・内装ともイズニックタイルをふんだんに使用している。特にその内装の美しさは息を呑むほどだと言われる。



  8:00から18:00まで 休 無休 料 無料

 



スュレイマニエ・ジャーミィ(地図⑭)

スュレイマニエ・ジャーミィ平面図
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 スュレイマニエ・ジャーミィは、オスマン帝国の第10代スルタン(皇帝)、スレイマン大帝の命により建築家ミマール・スィナンが1550年から建築を開始し、1557年に完成させたイスラム教のモスクである。

 モスクの中央ドームは直径27.5m高さ47mの円形でアヤソフィアのそれよりは小さいが、付属施設を含めた規模はイスタンブールで最大である。


  6:00から20:00まで 休 無休  入場無料


ドルマバフチェ宮殿(地図⑮)

 ドルマブフチェ宮殿は、オスマン帝国第31代スルタンのアプドゥル・メジト1世が1853年に建設した王宮である。新市街のボスポラス海峡に沿って、建てられており、大理石を使用したバロック様式とオスマン様式を折衷した2階建ての建物である。



  9:00から16:00まで 休 月曜・木曜  無料


テオドシウスの城壁(地図⑯)

 コンスタンティノーブル(イスタンブール旧市街)の東部・北部・南部は金角湾とボスポラス海峡、マルマラ海に囲まれているが、西部は陸続きのため防御面が弱かった。その為、ビザンツ帝国時代の413年に当時の皇帝テオドシウス2世により、旧市街を囲む22kmに及ぶ城壁を築き、特に西側の約6.5kmについては二重の城壁になっておりで、外壁の高さは8m、厚さ2m、内壁の高さ13m、厚さ5mであった。また、外壁の外に堀をめぐらせて三重の防御設備となっていた。









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