トルコ一人旅ガイド

 その他の世界遺産

サフランボル -Safranbolu-


サフランボルの概要

サフランボルの位置 サフランボルの名前の由来は、この地が香料となるサフランが群生していたことによる。サフランボルの歴史は先史時代に遡るとされるが、最も栄えたのはオスマン帝国時代の14世紀から17世紀ごろで、交易の要所として多くの宿場やモスクが建設された。
 今日残る町並みはこの頃のものと言われ、1994年に「サフランボルの宿場町」として世界遺産に登録された。


サフランボルへの行き方

 サフランボルには3つの市街に分かれているが、観光地はチャルシュと呼ばれる場所である。バスはクランキョイに着くため、チャルシュに行くためには、タクシーかドルムシュに乗り換えなければならない。


【各地からのバスの所要時間(目安)】
出発地  所要時間 
 イスタンブール  7時間
 アンカラ 3時間


サフランボルの見どころ

フドゥルルックの丘
 サフランボルの旧市街チャルシュの中心部チャルシュ広場の南東にあるフドゥルルックの丘は、サフランボル市街を一望に望むことのできる丘である。

サフランボル歴史博物館
 サフランボルの歴史を中心とした博物館。

民家
 カイマカムラル・エヴィ、ミュムタzyラル・コナウ、キレジレル・コナウの3箇所の民家が公開されている。いずれも、18世紀から19世紀に建てられた民家で往年の暮らしがしのばれる。



ハットゥシャシュ -Hattusas-


ハットゥシャシュの概要

ハットゥシャシュの位置 ハットゥシャシュはトルコで最初の王国、ヒッタイト王国の首都であった場所で、現在の行政区画名はボアズカレに属する。
 ハットゥシャシュは1906年にドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見されて以来、発掘調査が続けられており、1986年に世界遺産に登録された。


ハットゥシャシュへの行き方

 ハットゥシャシュがあるボアズカレには、トロコ各地から直接到着するバスがないため、一旦、スングルルかヨズガットへ行き、そこからボアズカレに行くことになる。

【各地からのバスの所要時間(目安)-スングルル-】
出発地  所要時間 
 アンカラ 3時間
【各地からのバスの所要時間(目安)-ヨズガット-】
出発地  所要時間 
 イスタンブール 12時間
 アンカラ 4時間
 カイセリ 3時間30分


ハットゥシャシュの見どころ&Map

ハットゥシャシュ遺跡
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 遺跡の外周は約6kmほどある。その内外に遺構が点在している。所要時間は2時間から3時間程度はほしいところである。
大神殿(地図①)
王の門(地図②)
スフィンクス門(地図③)
ライオン門(地図④)
ニシャンテペ(地図⑤)
大城塞(地図⑥)







 開 8:00から18:00まで 休 無休 料 4TL



ネムルトダーゥ -Nemrutdagi-


ネムルトダーゥの概要

ネムルトダーゥの位置 ネムルトダーゥ(ネムルト山)の山頂には紀元前62年に建てられた巨大墳墓がある。当時この地を支配していたのはコンマゲネ王国のアンティオコス1世で、自身の墳墓と宗教施設として建てたとされる。

 特徴的なのは8~9m程の巨大神像がある。巨大神像は王自身の座像とギリシャ神話やペルシャ神話に出てくる神々、鷲、ライオンであるが、王と神々の神像は頭部が地面に落ち、その頭部は地面から直接生えているように見える。頭部が落ちているのは地震によるものと思われるが、偶像破壊運動の可能性も考えられている。

 1881年にドイツのカール・ゼシュターにより発掘され、1987年に世界遺産に登録された。


ネムルトダーゥの行き方

 ネムルトダーゥの観光の拠点はキャフタとなる。キャフタへ行くためには、アドゥヤマンからミニバスで45分ほどで着く。アドゥヤマンには空港があり、アンカラからトルコ航空が就航している。

 ネムルトダーゥへのツアーはキャフタのホテルなどから手配可能である。ツアーは早朝に出発して山頂で日の出を見るツアーと、午後に出発して山頂で日没を見るツアーなどがある。

【各地からのバスの所要時間(目安)】
出発地  所要時間 
 イスタンブール  18時間
 アンカラ 9時間

ネムルトダーゥの見どころ

ネムルトダーゥ
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 山頂にはアンティオコス1世の墳墓があり、テラスが東側と西側にある。それぞれのテラスには高さが5~8mの5体の神像がある。どの神像も頭部が落ちており、首は地面に据え置かれている。5体は、アポロン・ティケ・ゼウス・アンティオコス1世・ヘラクレスの神々を表す。
 また、それぞれのテラスには獅子などのレリーフは見ごたえがある。
 





 開 随時  休 冬期(降雪のため閉鎖)  料 5TL



クサントス・レトーン -Xanthos & Letoon-


クサントス・レトーンの概要

クサントス・レトゥーンの位置 クサントスにはクサントス遺跡とレトーン遺跡があり、1988年に両遺跡は世界遺産に登録されている。
 クサントスは、リキアの首都として繁栄したが、外敵の攻撃により悲劇的な歴史を繰り返していたが、復興を果たしアレキサンダー大王の下繁栄をしたとされている。


クサントス・レトーンの行き方

 交通の便は決していいとは言えない。基点となるカシュとフェティエの町の中間地点にあるため、いずれかの町からドムシュで移動することとなる。、それぞれの町からもドムシュは1時間に1本程度で、所要時間は1時間程度。

【各地からのバスの所要時間(目安)-カシュ-】
出発地  所要時間 
 アンタルヤ 4時間
【各地からのバスの所要時間(目安)-フェティエ-】
出発地  所要時間 
 イスタンブール 13時間
 アンカラ 9時間
 イズミールリ 6時間


クサントス・レトーンの見どころ

クサントス遺跡
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レトーン遺跡
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クサントス遺跡
 クサントスはリキアの都市遺跡である。都市がいつ頃できたかは不明であるが、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの記録によると、紀元前540年ごろにペルシャ(アケメネス朝)の征服を受け、80人の女性を除き、多くの人々が死亡したとされている。
 その後、クサントスはペルシャの支配下で復興したが、紀元前475~470年頃に自然災害で壊滅したとされている。
 ローマ時代にも同様なことが起きている。ローマ帝国のブルータスによりクサントスは攻撃され、街は破壊されている。
 

 開 8:30~17:30  休 無休  料 4TL



レトーン遺跡
 レトーンの始まりは紀元前6世紀頃と言われている。ギリシャ神話の女神レトがこの遺跡の名前の基となっている。
 7世紀頃にこの地は放棄されたとされる。1962年に、レト、アルテミス、アポロンの3つの神殿が発掘されている。


 開 8:30~17:30  休 無休  料 4TL




トロイ遺跡 -Troy/Truva/Troia/Troya-


トロイ遺跡の概要

トロイ遺跡の位置 ギリシャ神話の「トロイの木馬」として有名なトロイ遺跡は、紀元前3000年頃からの集落跡である。
 ドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンにより、1873年に発見された。
 1998年に世界遺産に登録された。


トロイ遺跡の行き方

 トロイへの交通の便はあまりよくない。チャナッカレを経由していくこととなる。チャナッカレからの所要時間ははミニバスなどで30分程度。

【各地からのバスの所要時間(目安)-チャナッカレ-】
出発地  所要時間 
 イスタンブール 6時間
 アンカラ 12時間
 イズミール 7時間



トロイ遺跡の歴史

トロイ遺跡
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 トロイは同じ場所に何度も建設されており、第1期が紀元前3000年頃で500年ほど続いた後、火災によって全壊したとされている。
 第2期は紀元前2500年頃から紀元前2300年頃で、城門や傾斜路などを持つ城塞であった。
 第3期から第4期は紀元前2300年頃から紀元前1800年頃であるが、この期の遺構はあまり見つかっていない。
 第5期は紀元前1800年頃から紀元前1700年ごろである。塔を持つ城壁や宮殿



 開 8:00~19:00(冬期:~17:00)  休 無休  料 10TL





ディヴリイのウル・ジャーミィと病院 -Divrigi Ulu Cami ve Darussifa-


ディヴリイのウル・ジャーミィと病院への行き方

ディヴリイのウル・ジャーミィと病院の位置 近くの空港はスィワスにあるが、ここからディヴリイまではバスで3時間程度かかる。

【各地からのバスの所要時間(目安)】
出発地  所要時間 
 イスタンブール 16時間
 アンカラ 9時間
 スィワス 3時間


ディヴリイのウル・ジャーミィと病院の見どころ

ディヴリイのウル・ジャーミィと病院
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 ウル・ジャーミィは1229年に建てられたモスクで、当時この一帯を治めていたメンギュジュク朝のスルタン アフメット・シャーによるものである。
 ウル・ジャーミィにはその妻 トゥラン・メレクによる病院が併設されている。
 見どころは北側と東側・西側にある入り口のレリーフである。
特に北側の入り口のレリーフが豪華絢爛である。










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